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佛教良書の紹介 「ちょっとお耳を」

巷には、良書といわれる本が満ち溢れていますが、仏教に関する著書となると、難解な専門書や宗派の教義に関するものなど気軽には親しむことが難しいものが多いのですが、実は本願寺出版(本願寺派)をはじめ多くの出版社から心に響く素晴らしい本が出されています。
このページは、毎月住職が選んだ各界の先達の珠玉の言葉を紹介します。

良書の基準としては
①あくまでも自分の体験や考えたことを通して、釈尊のみ教えを味わっていること。

②仏教や阿弥陀仏の教えを先達や知識(師匠)の導きの中で、新たに気付かされる境地を展開していること
 (読み応えや感動が伝わってくる本)

③高価でなく、手軽に購入できる本
 出版社名とその電話番号、時価をお知らせします。
 (現在の値段は各自お調べ下さい)

「ちょっとお耳を」

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み仏様との日暮を

2016-11-10
 
ご自身の信仰をキリスト教から浄土真宗へと転じていかれた萩女子短期大学の名誉学長であられる河村とし子先生をご紹介したいと思います。
 先生は兵庫県明石市の、敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ、地元の学校を卒業後、東京女子大学に進まれます。
 そこで今は亡き夫、河村定一さんと知り合われ、生涯クリスチャンとして生きるということと、夫の実家で暮らさなくてもいいということを条件に結婚されます。

 ところが、戦争が次第に激しくなり、空襲を避けるため夫を東京に残し、子供二人を連れて、夫の実家に疎開されるのです。
 実家は山口県の萩市にほど近い山間の村にあり、年老いた両親が家業の農業を営んでいました。

「こんな思いがけないところに来たのはキリスト教を広めよという神様の思し召しに違いない」と思い込んだ先生は、クリスチャンとしての使命を果たすべく、その日から毎晩のように両親の部屋へ出向いてはキリスト教の教えを説き始めるのです。

 夫の両親は、嫌な顔もせず「そうか、そうか」とニコニコしながら彼女の話を聞いてくれたそうです。

 そういう日が続いていくうちに、先生の心の中に微妙な変化が起こるのです。

 それは、四人の子供を立て続けに亡くされたにもかかわらず、両親の生活からはその暗さやわびしさが全然感じられないのです。しかも、都会育ちで田舎の習慣になじもうとしない彼女のような傲慢な嫁に対して両親は本当に親切にしてくれるのです。

 さらに驚くべきことに、田舎の生活には珍しく、日の良し悪しや、占い、まじないといった迷信めいたことが全くなく、河村家の家訓として代々言い伝えられてきたことが、人間として一番大切なことはお寺に参って仏法を聴聞することだというのです。
 そうして、「仕事は聴聞のあまりがけですればいい」というのです。

 このような、仏さまを中心に穏やかな日暮らしを続ける両親を見ているうちに、お寺というのは一体どんなところなんだろという思いが生まれてきたのです。

 そこで先生は好奇心も手伝って生まれて始めてお寺を訪れることになるのです。

 その時のお説教が、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というものでした。

 これは、阿弥陀さまの救いの目当ては善人ではなく悪人だという、浄土真宗の教えの要になるお話です。

 これまで、善人は救われるが、悪人は裁かれると、キリスト教で教えられてきた先生にとって、初めて聞くこのお話は大きな驚きでした。しかし、その話全体を通して何ともいえない感動を覚えたのです。

 このことがきっかけになり、先生は次第に仏教の勉強を始めるようになりました。

 特に、クリスチャンとして守るべき戒律を中々守れないことに矛盾を感じていた先生にとって、自分の浅ましい心をごまかさず赤裸々にさらけ出していかれた親鸞聖人という方に、何ともいえない安堵感を覚えると同時に、強く惹かれるものがあったのです。

 何としてもこのお念仏の道を極めたいと、方々のお寺に聴聞に出かけました。

 しかし、その道は決して平坦なものではありません。聞けども聞けども心の底からうなずけるまでには至らないのです。
 純真で一途な先生は、いっそのこと離婚をして、家を出てでも、このお念仏の道を求めていきたいと両親に願い出たこともありました。

 そんな時、両親は「聞きたいという気持ちが起こったということは、もう仏さまのお手の中に抱かれているということだから、ともかく家のことも子供のことも一切私たちに任せて、気の済むまで、日本はおろかどこまででも行ってお聴聞してくるがいい」と励ましてくれたのです。

 こうして懸命に道を求める先生に、ついに仏さまのお心に出遭う時が来るのです。

 その時のことを次のように語っています
「いつものように理屈をこねながら聞いておりました私が、今まで思いもしなかったことに気付いたことがあります。
  自分が生きて自分が求めて、自分がこうして苦労しているんだと思っておりましたこの私というものが、自分で生きているんじゃない、人間を超えた大きな大きなおかげさまで生かされている私だということに、フッと気付いた瞬間があります。

 本当にそれは瞬間なんです。

 ところが不思議でならないのはお念仏を唱えることが大嫌いだった私が、その時全く無意識のうちに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声に出してお念仏を唱えていたのです。

 そうだったのか、呼ばれている身だったんだ、願われている身だったんだと、その時はっきり気付かせていただけたんです。その日は家に帰る道すがら、深い感動に襲われ涙が止まりませんでした」

 まさに、聞かさずにはおれないという阿弥陀さまのお心が、しぶといしぶとい彼女の心に至り届いたのです。
こうして見事な回心を遂げた彼女はさらに次のように語っています。

「その日を限りに私がありがたい人間に変ったのかと言いますと、私自身はちっとも変わってはいないのです。傲慢でもあり、不遜でもあり、どうにもならない浅ましいものを抱えていることにはちっとも変わらないのです。

 けれども、その私にお念仏が出て下さることによって、のど元まで怒りがこみ上げた時には、我慢せよと慰めて下さる。道を間違いそうになった時には、危ないよと呼んで下さる。悲しみのどん底にある時には、共に泣いている親があることを忘れるなよと呼んで下さる。

 そんな、阿弥陀さまの呼び声であるお念仏によって導かれていく日暮の安らかさというものを、私は知ることが出来たんです。本当にみ仏さまに出遭わせていただいたというのはそのことだと思います。」

 これが信心を頂いた念仏者の日暮らしというものです。
 よくよく味わっていただきたいと思います。

 こうしてクリスチャンから念仏者へと転じていかれた先生は、来し方を振り返り 次のように語っています。
「私の人生で最もありがたかったことは姑(河村フデ)との出遭いでした。
一字の読み書きも出来ない母でしたが、阿弥陀さまにすべてをおまかせすることを、身を以って教えていただいた方でした。決して説教じみたことや押し付けがましいことを言う人ではありませんでしたが、母は私を教化下さるために、この世に出てこられた仏さまではなかったかと思います」
「人は人によって育てられる」と言いますが、ことに仏法はその真理を体現した人を介さなければ決して伝わりません。
 それだけに、そのような人(仏法の体現者)との出遭いが極めて大事なことになるのです。
 相田みつをさんの詩に次のようなのがあります。

 そのときの出逢いが
 その人の人生を
 根底から変えることがある
 ・・・
 ・・・
 人間を根底から変えてゆくもの
 人間を本当に動かしてゆくもの
 それは人と人との出逢い

 まことにその通りだと思います。
 しかも、その出遭いの背後には、無限の過去からの無量無辺のご縁が、はたらいていたことを思う時、「遠く宿縁を慶べ」という親鸞聖人のお言葉をあらためて思い起こさずにはおれません。


★『たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ』……たまたま偶然にも、お念仏のみ教えを喜ぶ身にさせて頂いたならば、それは我が思いを超えた遠い遠いはるかな昔からのご縁があったのだと心から慶ぶべきです。

「観無量寿経に学ぶ」本願寺出版 霊山勝海(よしやましょうかい)著 800円

2016-09-01
 本願寺出版では経典の専門家が仏教の教えを分かりやすく説いているものが多数、お手頃の価格で発行しています。
その中には『①釈尊の教えの真髄とは何か。②その教えの目的とねらいとは何か。③どのような人たちを対象にして法を説いているのか。④何を伝えようとしたお経であるのか。』を主題にしています。

 その出版物の中には。浄土経典や親鸞聖人の専門的な著作物を一般の人が学べるように平易で豊富な註釈が付いた学べる本と念仏の教えをそれぞれの個人の体験を通して仏様の教えを味わった感動的な本とがあります。
※リンクで、本願寺出版を検索してみて下さい。

 この本の著者霊山勝海先生は、前京都女子大教授で本願寺布教使でもあり、大阪の住職さんでもありますが、浄土三部経典の一つである「観無量寿経」を法然上人や親鸞聖人はどのように味わってこられたのかということを信仰の立場より味わって、釈尊の真意を分かりやすく著しています。

 お経は、厄除けや私たちの欲する御利益を叶えてくれる呪文ではありません。
お経は、釈尊が亡くなってから、拠り所を失った弟子たちが、皆で集まってその教えを確認し合って成立したものです。これを仏典結集といい、数百年の間に何回も開かれて、いろいろなお経が成立しました。いわば釈尊の言行録が基本になっています。
 
①この観経は、釈尊の活躍されている時代、強大な国家を形成したマガタ国のギシャクッ山(霊(りょう)鷲山(じゅせん))で阿難尊者を聞き手として説かれました。話は、マガダ国の首都で起きた「王舎城悲劇」として、原始仏教経典や涅槃経にも見ることが出来ます。

②マガダ国王ビンバサラと王アジャセとの父子の断絶。釈尊の従弟、提婆達多の野心による奸言で、アジャセを唆して、王を幽閉して殺そうとさせます。

③そして、息子の非道に気付き、夫を助けようとした母までも殺害しようとしているわが子の現実を前に、憂悩焦躁(ユウノウショウソウ)したイダイケ夫人は、遠くギシャクッ山で説法中の釈尊に助けを求めます。

 父と息子の心の断絶と対立、息子の思いもよらない行動に懊悩する母親、野心家の出現とその奸言に振り回されて、誰を信じてよいか。どうすれば人間関係を修復することが出来るのかが分からなくなってしまうという家族など現代人が直面する深刻な問題が持ち上がります。
○ギシャクッ山で大切な説法をしていた釈尊は、説法を中断してイダイケの前に現れて下さいます。彼女は王妃の象徴である瓔珞を投げ棄て、大地にひれ伏しますが、最初に口に出したのは、愚痴でした。「私は何の罪によって、このような非道の子を産んだのでしょうか。」「お釈迦様はどんな因縁で、あの悪辣なことを焚き付ける提婆達多と従弟なのでしょうか。」
人間は困難に直面するほど自分を守るための言い訳や相手のせいだと罵る愚痴をこぼす。
○釈尊はそれに応えず、彼女を見つめています。
○自分の愚痴の問いに気づいた彼女は、姿勢を正して「この苦悩と不実に満ち汚れたこの世界超えた清らかで安楽の世界に往くべき道を教えて下さい」と
お願いします。釈尊は多くの諸仏の国土を遍く照らし見させます。彼女は多くの女官と共に称名念仏によって阿弥陀仏の浄土に往生することを願います。
○阿難とイダイケ夫人は、釈尊亡き後に生まれた煩悩に苦しみ、悲しむ多くの人々が、阿弥陀仏の西方極楽世界に往生するための方法を聞きます。

≪その問いに応えて、阿弥陀仏の浄土に至るための方法が説かれます。≫
①定善...※日想観~雑想観までの天台などで行う極てやり遂げるのが困難な観法修行
②散善...一般僧侶や世俗の人々が行う修行で、上中下の3輩(人間の資質)に分け、更にそれぞれを細かく3品(段階」に分類。計9品に分ける。
・上輩⇒大乗仏教を学び浄土往生を願う
・中輩⇒在家者で十善五戒を守り、善根を積み浄土往生を願う
・下輩⇒五逆(父、母を殺し、修行者や仏を害し、サンガの和合を乱す)
    十悪(殺生、盗み、不倫、嘘や妄語、両舌、悪口を言う。貪欲、瞋恚、愚痴)を行い、自分の罪を自覚せず浄土往生も願わない

①釈尊は、高度な観法である定善から次第に低劣な下輩の現実まで分類して最下の輩(下品下生)のもの善知識に出あい、その指導の下で称名念仏すれば、必ず浄土に生まれ救われると説いている。
②法然上人は善導和尚の導きで、観法の念仏ではなく、声に出して称える念仏を勧めた。このお経のイダイケ夫人は、正に下品下生の存在であり、阿弥陀仏の念仏の力によってしか救われる道は無いことを示している。
③最下の凡夫を救うことのできる教えは、最高の力を持つ教えでなければならない。まさに阿弥陀仏が御自身の生存をかけて成就させて、全ての人を仏にするため如来の功徳を完璧に施した称名念仏が浄業になり、浄土に往生を願う念仏者に育てられて、浄土に摂取されていく道が成就されたのである。

「癌告知のあとで」鈴木章子著 探究社出版 ¥1,500

2016-06-16
 北海道・西念寺の坊守、鈴木章子さんは、幼稚園の園長として活躍中の45歳の時、突然中期の乳がんを告知され、絶望の淵に陥ります。
 
 そんな時、実家の寺の住職である父の「何をオロオロしているのか。傲慢さを捨て、念仏申されよ。」という言葉に目覚めを受け、それからは師と仰ぐ東井義雄さん(この方の著者については次回ご紹介いたします。)の教えを心の支えにして、浄土の一年生として、病院のベッドの上や自宅療養を受けながら常に仏と真向かいに対座して、聞法の喜びを綴るようになります。
 
 「癌という病を得て、残された命を今までと全く異なる価値観でいきられるようになりました。朝起きて家族に、また会えた喜びを素直に伝え、のに咲く一輪の花にも慈しみと感謝の心で拝めるようになりました。」という文で始まる珠玉の言葉は、釈尊の教えに出会い、念仏の生活によって私達の物の見方、感じ方がどのように深められるのかを教えてくれるはずです。
 
 人間の死亡率は百パーセントです。突然自分の氏と直面せざるを得なくなった時、また、愛する人との永遠の別れなどまさに死ぬより辛く悲しい現実に出会った時に、真実の仏はこのわたくしに何をしてくれるのでしょうか。
 
 東井先生は、『観無量寿経』の「諸仏如来是法界身、入一切衆生心想中」(諸仏如来は是れ法界身なり一切衆生の心想に入り給う。)という言葉を引用して、真実のほとけは私たちの心や思いの中にお入り下さって「苦」を超えさせたくださるのだと説きます。
 
 鈴木章子さんは癌の転移による再手術の時、東井先生から励ましの手紙をいただきました。
「如来様は、真如の世界にじっとしておいでになることができず、あなたの病床にお出ましになり、阿弥陀径の『今現在説法』というおことばそのままに、あなたのために現に説法なさっているはずです。
 
 あなたがお気づきになったことはあなたが気づかれたというよりは、如来様が気づかせてくださっているのでしょう。どうかできるだけ努力して、そのご説法を記録してください。記録することによってご説法がいよいよはっきり確かなものになってあなたに届いてくださるばかりか、ご縁のある皆さんにとっても、大切な指針となってくださるでしょう。」
 
 章子さんは、この言葉に勇気をもらい「ご説法はお寺でお坊様から聞くものと思っていましたら、この病床がご説法を聴聞する一等席だったとは…」という言葉に始まる命の詩を亡くなるまで綴ることになるのです。
 
 そしてその詩は、大勢の人の力で『癌告知の後で』という一冊の本になり、多くの病に苦しみ悩む人々の生きるための指針になったのです。
 
 東井先生の「拝まない者も拝まれている。」「拝まない時も拝まれている。」という言葉は、病気にならなければ健康の大切さを実感できない私であり、大切な人の存在を失ってみなければその価値が分からないような私たちは、うっかり者で傲慢で愚かな存在ですが、『人生の真実の喜びを得てくだされよ。』と最高の仏に願われている事を忘れないで下さいと教えてくれているのです。
 
 だから、今は不完全な心でもよい、欠点だらけの自分でもよいから、まず手を合わせ、大切な人の足の裏を揉むところから始まって、声に出して念仏を称え、仏の願いに目を開いてくださいと教えてくださっているのです。 合掌

「拝まない者もおがまれている」 東井義雄著 光雲社刊 ¥1,600

2016-07-22
 
  私の尊敬する念仏者に東井義男さんという方がいます。彼の著書に「拝まれないものもおが
まれている。」という大変感動的な一冊があります。
 
 兵庫県の山村の小さな寺で育った先生は、小学校の教員そして校長として幼少のころから培われた柔らかく人の願いを謙虚に受け入れ、かつ無限の成長を信じる心で児童に接してこられた方で、先生の活動は高い評価と共感を得てきました。この著者は僧侶として、また念仏者として熱き求道の足跡を集大成されたものです。
 
 先生の晩年は、癌の発病・便りとする後継者である長男の突然の難病など多くの辛く悲しいできごとが続きましたが、真摯にこれらの問題を受け入れ、いかに生きていけばよいのというテーマの珠玉の言葉に出会うことができます。
 
 「拝まれないものも拝まれている。拝まない時も拝まれている」という東井さんのテーマは次の一編の詩に表されています。
 
 念仏は聞けば聞くほど深みゆく弥陀のお慈悲とわが愚かさに東井さんがこの詩を詠んだ契機になったのが熊本県の校長をしていた徳永康起さんとの出会いでした。
 
 徳永さん宅に宿泊していた先生は、早朝未明、朝の勤行の準備をしておりましたが、徳永さんがやおら東井先生の足の裏を揉ませてくださいと嘆願されたので渋々揉んでもらいました。先生が恐縮していると「どうぞ帰られたら奥様の足の裏を拝んでから揉んでください。」
と約束させられました。
 
 翌日、夜半に帰宅した先生は半信半疑ながら約束したとおり、奥さんをうつ伏せに寝かせ、手を合わせながら足の裏を揉もうとしました。
 
 すると、結婚した頃の足の裏は柔らかく可愛らしいはずだったのに、今見る足の裏は長年の山里の苦労で熊の足の裏のように固くなっているのに気づき、衝撃を受けます。
 
 妻の苦労など分かっていると頭では理解していても、腹の底からその苦労を労い感謝することを忘れていたという事実に気づいた時の気持ちを表したのがこの詩なのです。
 
 夫婦や親子・兄弟隣人などの人間関係の中で、相手の苦労や悲しみなど十分に分かったつもりでいるかれど、本当は何も分かっていない愚かな自分の姿が照らしだされているのが、実は念仏の功徳の力であります。
 
 分かっているぞと頑張る己の傲慢さを照らし破ってくれるのが本願他力の大きなご利益なのだということを腹の底から実感されたのでした。
 
 徳永さんが東井先生に奥さんの足の裏を揉むことを勧められたのも、自分の念仏生活の実体験の中から我が無知の傲慢の中で大切な物を忘れ、仏を拝まないでいる私に対して仏様の方から大慈悲の心で拝まれ、照らされ、育てられている自分の存在を発見した喜びを東井先生に伝えたかったからだろうと推測されます。
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